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私はなぜ株式会社ティーオーを設立したのか

こんにちは! ティーオーのブログ担当、富田です。

今日もブログを読んでくださり、ありがとうございます。

本日は、弊社代表取締役の李 文平より、ティーオーの設立にいたった経緯とこれまでの道のりについての文章を共有させていただきます。

日本語の下に中国語でも掲載しておりますので、読みやすい方でお読みください。

 

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私はなぜ株式会社ティーオーを設立したのか

代表取締役 李 文平

 

私が北海道大学大学院の指導教授に東京に出て起業したいと話したのは、2012年のことでした。教授はご高齢で大変英知に富んだ方でいらっしゃいましたが、賛成とも反対とも言わず、農学部の事務員を呼んで会議を2回開きました。1回目は私の決心を確かめた上で、大学院の留学生の中で退学して起業した先例がないためわからないことが多く、次の案内をするには時間がかかると言われました。2回目は必要な手続きをするためでしたが、その時、私の単位は5年ほど取って置けるので、5年以内に論文を提出すれば学位を取得できると伝えられました。その3年後、学会のために東京に来られた教授も、6年経った今年、北海道を再訪し、研究室を訪ねた時にお会いした教授もほとんど変わっていないように見えましたが、研究室の後輩たちは皆、「この人はいったい誰なのだろう」といった表情を浮かべていました。

話は戻り、2012年4月2日、東京へ飛んだ私は、4月4日、浅草4丁目の90㎡のオフィスを借り、4月5日、ティーオーが成立しました。これについては、当時まだご健在であられた浅草の育英不動産の高羽社長が、外国人留学生の起業家の苦境を深く理解してくださったことにお礼を申し上げなくてはなりません。オフィスを借りる時に通常必要となる高額な敷金・礼金を免除してくださっただけでなく、当時の家主の方にも事情を説明してくださったおかげで、家主の方の同意をその場で得ることができたのでした。また、持っている物はUSBとノートパソコンひとつといった私のために、何度も印刷と修正を繰り返して認証の手続きをし、会社を成立させてくださった、公証役場の公証人の方にもお礼を申し上げます。

大学院卒業を待たず私が起業に踏み切ったのは、ある事件がきっかけでした。2012年の旧正月(中国の新年)を私は北海道で過ごしたのですが、その大晦日の日、私の借りたレンタカーは日高山脈で車が全損する交通事故を起こしたのです。零下18度という気温の中、車がスリップし、何回転もしたのですが、幸い自分自身は何ともありませんでした。しかし、ちょうどこの日が大晦日だったこともあり、「もし自分に何かあったとしたら、家族はどんな思いでこの正月を過ごしたことだろうか」という考えが頭をよぎり、ことさら反省の念は深くなりました。また、「あの日、自分が命を失っていたとしたら、後悔はあっただろうか」と自分に問いかけた時、「もちろんある。今すぐ自分のしたいことを実行に移さなければ。一日も無駄にしてはいられない」と思うに至ったのです。

北海道大学に在籍していた頃、最も考えていたことは、自分はこの一生をどのように過ごすのか、ということでした。人は自分の一生をどのように過ごすべきなのか。これは思わず涙が出るほど悲しいテーマと言えるでしょう。現実の全ての物には限りがあり、この世界に生まれてくるチャンスは一度きりであるうえ、その一度の時間も限られているのですから。2018年10月5日0時12分現在、一人で静かなギターの音を聞きながら上の文を書いた時、涙が溢れ、いくつかの言葉が脳裏をよぎりました。家族への愛、人生、子供、母。人はどのように自分の一生を過ごせばよいのでしょうか。『自己が幸福であるとともに、他の人も幸福にすること。自己の価値を高め、他の人に価値や幸福を与えられること』 様々な答えがあるにしても、全ては上の一つに回帰してくるのだと思います。これは、一生の間で得る知識や経験の広さとはあまり関係がありません。仕事もこの目的を実行する手段の一つであり、金銭や物は結局のところ表面的なものに過ぎません。人々に価値を提供し、世界と人々を愛し、愛を広めることこそが、私たちの生活の真の意義なのです。かつて、北海道大学農学部の大講堂で共通選択科目の授業に出ていた時のことですが、その日の午前中、功利主義について話が及び、「最大多数の最大幸福のために」という言葉が出てきました。「ああ、この言葉に出会うために私は北海道までやって来たのだ」と思いました。ですから、会社を立ち上げた時、ブランド名を『ai + more happiness for more(愛+最大多数の最大幸福)= aimoha』と名付けたのです。現在の事業、そして自分の人生の目的の象徴として。

一生をどのように過ごすのか定まった後は、具体的に何をするのかは難しいことではありませんでした。いくつかの判断基準さえ加えれば、誰もが自分が楽しめ、幸福を伴う事を見つけ出せるものです。まず、自分の興味関心を考えれば、小さな頃から非常ないたずらっ子だった私は、トラックや海、飛行機、機械、工場、コンテナなどが大好きでしたから、流通業界を選ぶことになったのは自然な成り行きでした。さらに、起業するとなれば、ビジネスの基本法則である『利益=売上×粗利率-費用=客単価×購入人数×粗利率-費用』を当てはめ、事業の市場規模や収益性もすぐに分析できました。ここでせっかくですから、最近深く身にしみている3つの言葉、『誤ったことをするのをやめる。正しいことを実行する。正しいことを正しい方法で実行する』を紹介しておきます。

起業した初めの2年間は、会社の成長こそ比較的速かったものの、実は大変苦労したものでした。最初の2年間、私は1日も休んだことがなく、毎日朝5時に起き、夜10時に寝るといった生活を送っていました。また、売上が完全にゼロになってしまい、一からやり直しになったり、重要なメンバーが離職したりするなど、様々な回り道もありました。今では多くの人がついに軌道に乗って来たと考えているかもしれません。しかし、同僚のみんなが仕事を分担してくれて週末を持てるようになったことを除けば、依然として目標を目指して登り続け、常に喘いでいる状態なのです。『HARD THINGS 〜答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』(原題:The Hard Thing About Hard Things: Building a Business When There Are No Easy Answers)という本がありますが、私の7年間の起業経験をまとめれば、まさにその通り、といったところでしょう。しかし、自分がなぜこの道を歩み始め、どこに向かっているのかがわかっていますから、迷ったり、諦めて立ち止まったりすることはありませんでした。さらに重要なことには、そのおかげで道中の困難も小さな回り道となり、当時の私自身も困難にぶつかっているとは思わなかったのでした。

この文章を書き終えるにあたって、心は感謝と愛の気持ちで一杯です。中国にいる父母、優秀な同僚たち、ティーオーを支持してくださるお客様とサプライヤー様への感謝の気持ち、そして家族と妻、毎日私を癒してくれる2歳8ヶ月の息子への愛をここに記し、結びといたします。

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我为什么要创业成立现在的公司TO.CO.,LTD

CEO 李 文平

 

2012年我给在北海道大学大学院的指导教授讲我要去东京开公司了。老师是一位很睿智的老教授,他没有反对也没有赞成,而是找来了农学院的事务员开了两次会。第一次是确认我的决心,告诉我在学院因为没有留学生中退去创业先例所以学院要搜集很多信息然后才能给我下一步的案内。第二次是办手续的时候给我讲了我的学分可以保留五年左右,如果这五年内能够提出论文就能拿到学位证。但是从那次离开后也是在三年后在东京见了我来开学会的教授,和在今年时隔六年回到北海道再次去研究室坐了一下,基本都没有变化但是那里的后辈全都表现出不认识这是谁的表情。

然后在2012年4月2日飞到东京,4月4日签下在浅草4丁目的90平方的办公室,4月5日公司成立了。这里要感谢在浅草的育英不动产的当时健在的高羽社长,能深深地理解一个外国来的留学生创业者的境况。没有收正常租办公室会有的很高的敷金礼金之类,同时帮我给当时的房东说了情,房东当时就同意租给了我。也感谢在公证处在我只有一个Usb和一台笔记本电脑的状况下公证处的公证员帮忙多次打印修正做了公证成立了公司。

促使我决定在毕业前就来创业的有一个事件。2012年中国新年我在北海道过的,在那个大年三十我租的车在日高山发生了车全损的交通事故,零下18度的气温下路滑车翻了几个滚幸好自己没有任何问题。因为这天是中国的新年除夕当时就想要是我这天发生了什么意外我的家人怎么过这个节日,加重了我的反思。同时反问自己要是生命就在这天结束了会有遗憾吗?会,当然会,必须马上去做自己想做的事情,一天都不能耽搁了。

在北海道大学上学期间自己思考最多的是:如何过我这一生。人应该如何过自己的一生—-这是一个让人感觉悲情容易泛出泪花的话题,因为真实地一切都是有限的,来到这个世界的机会只有一次,并且这仅有的一次是有时限的。现在是2018年10月5日0点12分,一个人在这里听着轻吉他写下了上面的语句,流泪了,出现了几个词汇在自己的大脑的闪存上:亲情,人生,孩子,妈妈。人应该如何过自己的一生:要幸福,要让他人也幸福。要努力地有价值,给他人带去价值,幸福。所有所有的答案终极应该都会回到这里,和一生的宽度广度弱相关,工作事业都是这个目的的实践方式之一,金钱物质那些终究都很表象,给人带去价值爱世界爱人传播爱这才是生活的真谛。在曾经北海道大学的农学院大讲堂里面上了一堂公共选修课,在那个上午谈及了功利主义哲学,里面有一句‘为了最大多数的最大幸福。’哦,我来北海道原来是来找这句话的。后来公司成立的时候的品牌名 爱+为了最大多数的最大幸福 ai + more happiness for more = aimoha 成了我们产品的品牌。现在的事业同样也是自己人生目的的载体。

想明白了一生怎么过了,具体做什么也就不困难了。再加上几个评判标准基本上每个人都能找到愉悦自己的伴着幸福的那件事情了。兴趣,作为从小就非常调皮的男孩子,喜欢大货车,大海,飞机,喜欢机械化的东西,工厂,集装箱这些,那么选择流通行业也就有很大的注定的部分了。如果要创业的话加上商业的基本逻辑 利润=销量*毛利率—费用=客单价*购买人数*毛利率—费用这些的话事业的市场大小,盈利的可能性也就能分析出来了。顺便讲一下最近我体会很深的三句话:停止做不正确的事情,做正确的事情,正确地做正确的事情。

刚创业的前两年成长比较快,但是其实做得很辛苦,最初的两年我没有休息过一天,基本每天都是早五晚十的作息规律。并且在这这些年还有过很多插曲,公司销量完全归零重头开始,
重要员工离职等等。可能很多人会想:终于慢慢上路了。除了能够有同事们分担有周末以外一切还是一个不断在攀登不断喘气的状态。有本书叫<创业维艰>英文名:The Hard Thing About Hard Things: Building a Business When There Are No Easy Answers。我结合自己七年的创业的经验我告诉我的体会,真是这样的,哈哈哈。但是既然知道自己为何出发要走向哪里,也就没有犹豫不会放弃停止了。更重要的是这让路上的困难都变成了小插曲,当事的自己也就不会认为这是困难了。

写到这里,心里满满都是感谢,是爱。感谢我在中国的爸爸妈妈,感谢我优秀的同事们,感谢支持我们的客户和供应商。爱我的家庭,妻子和天天治愈我的现在两岁八月的宝宝。

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まだ数は少ないですが、掲載記事をご覧いただいてご参考にしていただければと思います。